- Day:2016.09.10 20:32
- Cat:水彩
こんにちは。
とてもお久しぶりです。芙蓉あかねです。
8か月ぶり・・・?ご無沙汰でした。
絵のお休み期間に入ってまして、模索などしていました。
前回とかのブログを読むと、久しぶりすぎて、別の人が書いたかのよう・・・。
言ってることは、さほど変わらないと思いますが、遠い心地です。
○ ○ ○
何年かに一度、絵と自分との在り方を見つめ直すために、描くのをお休みしています。
一番、自分の深いところまで行けるのが、絵なのですが、
普段混じり合っている分、見えないこともあり、
離れることで、見つけられること・確認できることが、あるようです。
○ ○ ○
今までは、絵を描くために生きていました。
今、生きるために絵を描いています。
絵があれば、日常がどんなに混雑としていても倖せだったのですが、
どうも、それだけじゃ、幸せになれなくなってしまったのでした。
自分でかけた重荷を、自分で外し、
日常生活を整え、
一つしかない、借りものの身体を整え、
心を落ち着かせ、
そんな感じで、再出発です。
○ ○ ○
何が正しいのか分からない世の中、
自分が描く意味を、ずっと考えてきました。
祈りすら、暴力と紙一重です。
わたしに出来る事は、なんでしょう。
芸術は平等で、ありたい。
なにを祈る人にも、
なにと戦う人にも。
でも、作者は仏にはなれません。
自分で感じたこと、自分の思うことを描くことしか、出来ないみたいです。
何が正しいのかを考えると、きりがありません。
でも、一人一人が、最良の状態で在れるように、
祈ることなら、出来るから。
全部、祈るためなのでした。
幸せになるのも、
自分を、だれかを許すのも。
祈る余裕をつくるためにも、私は、幸せになっていいのです。
私にとっての祈りは、
絵で、歌で、言葉です。
それらで、体現しつづける事です。
ちいさなことしか、出来ません。
それでも、一人分のちからで、今日も祈っています。

「雨の日の、山」
(透明水彩)